(母子家庭と子供の貧困)
(フードバンク)
私について
ホームページをご覧頂きありがとうございます。
まずは私について知って頂き、その上でご納得されましたらご相談ください。
私は、片親の父・祖父母という家族構成の中、一人っ子でとても甘やかされて育てられました。
父は、ほとんど家に帰らず、プレゼントも一度だけしかもらった記憶がありません。
決して裕福な家庭環境ではありませんでしたが、祖父母は、毎日、一生懸命働き
いつも優しく、怒らず、我が子の様に育ててくれました。
幼年期(0歳~5歳)
私が覚えている記憶では、
祖父母が一生懸命に自分をあやしてくれていた事は強く覚えており、出来事としては
親戚・祖父母とディズニーランドに行き、花火を見てその時の音が怖かった事を
今でも覚えています。
少年期(6歳~14歳)
多少自分で勉強もしましたが、長く続かず集団の中で馴染めず孤独な毎日でした。
同性よりも異性と話すのが好きでした。スポーツはサッカー、陸上部に入部していました。
この時の強烈な思い出として
私が13歳の時、祖母が交通事故に遭い、深夜に裸足で飛び出し、事故現場に行き
救急車に乗り、祖母は3日間意識が戻らず、付きっきりで看病をしました。
オムツ交換した事を今でも覚えています。祖母は今でも恥ずかしいと言いますが…。
祖父は、毎日仕事に行き、生活を支えてくれました。祖母も同じです。
孤独は感じましたが、祖父母の存在の偉大さを感じました。
青年期(15歳~30歳)
プライベートでは、甘やかされた部分が見え隠れし、様々な失敗、後悔を繰り返しました。
祖父母に関しては、恩返しをしようと心では思っていましたが、自分に夢中で
思うように行動に現れず、自己満足(たまに世話をする程度)にて援助している状態でした。
その部分を補うように仕事では異常に上司に気を使い配慮する様になり
それなりの役職で勤めてまいりました。特に人材教育 マニュアルを作成する職務が主でした。
そのせいか必要以上に対人関係において悩み、胃の病気に何度も悩まされ続けました。
プライベートでは、後悔と失敗 仕事では、異常な配慮と身体的・精神的苦痛を味わいました。
同世代の友人はおらず、ほとんど年上の方との交流が多かったです。
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